壮麗な都、サンクトペテルブルクはいかに生まれたか

ロシアのサンクトペテルブルクでは、町の美しさにハッとする人も多いのではないでしょうか。ネヴァ川沿いには、パリやウィーンを彷彿とさせる華麗な建物が建ち並び、運河が張りめぐらされた街並みは、西ヨーロッパに来たような錯覚すら覚えます。この町は、ロシア史上最強のピュートル大帝が、18世紀に「欧州に向けて開く窓」として突貫工事で作った町で、ロシアはこの町を通して、先進ヨーロッパの文明文化を取り入れていきました。その代表例がエルミタージュ美術館です。18世紀、女帝エカテリーナ二世によって、冬宮殿の隣に建てられた隠れ家が始まりです。ドイツ(現ポーランド)生まれの彼女は、夫である愚昧な皇帝に飽きたらず、クーデターを起こして自らが女帝となりました。そしてロシアの財力と文化水準をヨーロッパ各国に見せつけるために、美術品を収集し始めたのです。

ロシアのサンクトペテルブルクで、日露の歴史に思いをはせる ロシアのサンクトペテルブルクで、日露の歴史に思いをはせる

絶対にはずせないエルミタージュ美術館

美術館の本館はかつての冬宮です。この建物を初めて見た時には驚かされました。白を基調に、淡いグリーン、金色が施された建物のデザインは気品に満ち溢れ、しかもゴージャスだったからです。中に入ってさらにビックリ! 天井や壁、床、鉄製の手すりにいたるまで、装飾やデザインが素晴らしく、階段の踊り場にはラピスやマラカイトを使った大ぶりの花瓶が置かれています。いかにも帝政ロシアを思わせる大物ばかりです。土地柄でしょうか、古いイコン画をこれほど一堂に観たことはありませんでした。さらにラファエロ、ダヴィンチ、ルーベンス、レンブラント、エル・グレコと中世から近世の巨匠の作品の数々、そしてルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソ、ゴーギャンと続き、最後に見たマティスの「ダンス・ダンス・ダンス」は圧巻でした。まるで空中で自由に踊っているように見えました。

日本人なら、エカテリーナ宮殿へ

夏の間、エカテリーナ二世は、夏の宮殿(エカテリーナ宮殿)で過ごしていました。こちらの建物は、白地に薄いブルーと金が施してあり、冬宮と似ています。ここで1791年6月28日、漂流民の大黒屋光太夫が、エカテリーナ二世と謁見、日本への帰国を許されたのです。その琥珀の間は、壁一面琥珀を使った装飾で埋め尽くされており、絢爛豪華さには、ヨーロッパの貴族でも舌を巻いたことでしょう。ましてや大黒屋光太夫がどれほど度肝を抜かされたことか…ハハーッと頭を垂れるしかなかったでしょうね。その後、光太夫は10年ぶりに日本に帰りつきました。時は幕末、日本近海には異国船がうろつく中、光太夫も異国の情報収集に協力したと言われています。日本が開国を決めたのは12年後の1864年。このような歴史を知ると、ロシアと日本がグーンと近くなってきますね。そう、ロシアは決して遠い国ではなかったのです。