モンタネールも認めていたガウディの天才

裕福で才能にも恵まれたモンタネールと、貧乏で人付き合いの悪かったガウディ。この対照的な二人の建築家は、どこで運命が分かれたのでしょうか。ガウディはバルセロナを代表する実業家グエル侯爵にその才能を認められ、長きにわたって厚い援助を受けました。モンタネールも内心ではガウディの天才性を認めていたといわれています。グエルの援助を受けたガウディは、当初ムデハール様式の作品を造っていましたが、やがて自然や動植物をモチーフにして、独創的で大胆なデザインをするようになっていきます。その代表作がサグラダ・ファミリア大聖堂でした。

ガウディの影に隠れた天才建築家モンタネールの建築を見に行こう(その3) ガウディの影に隠れた天才建築家モンタネールの建築を見に行こう(その3)

ガウディ、サグラダ・ファミリア大聖堂の建築に着手

サグラダ・ファミリア大聖堂は現在でもまだ建築中の第建築物ですが、当初フランシスコ・ビリャールという建築家が設計し始めたものでした。しかし、ビリャールが辞任し、それを引き継いだのが当時ほとんど無名だったガウディです。ガウディは大聖堂の設計に没頭し、他の仕事はすべて断ったといわれています。大聖堂の姿が少しずつ現れてくると、ガウディの名声も高まっていきました。ガウディが完成させたのはサン・ホセ礼拝堂、地下聖堂そして生誕の門だけでしたが、これによってガウディの評価は不動のものになったのです。

運命が分かれた二人の天才建築家

モデルニスモの時代が過ぎると、モンタネールの名声も失われていきました。モンタネールは、評価が高まっていくガウディのサグラダ・ファミリア大聖堂を正面に見据える位置に、サンパウ病院のファサードを建築したともいわれています。しかし、バルセロナの財政不安や最大のパトロンだったグエルの死によって、サグラダ・ファミリア大聖堂の建築資金は不足していきます。ガウディは建設に全財産をつぎこみ、再び貧乏な暮らしに戻るのです。ある日、ガウディは路面電車にひかれて亡くなります。そのとき浮浪者と間違われるほどの身なりだったという話は有名です。二人の天才の運命を思いながら、バルセロナの建築巡りをしてみるのもおもしろいことでしょう。ここに挙げた二人の建物の多くは世界登録されています。