- 田中富子
- スペイン・セビリア在住。2000年にたまたま訪れたセビリアに、2001年より在住。2006年5月、個人事業主のビザを取得。現在は、食品輸出入仲介業を中心に、フラメンコ留学と語学留学コーディネーター、通訳、翻訳業等、スペインと日本を橋渡しする日々。情熱がモットー。
出発エリアをに変更しました。
雰囲気は、もちろん、歴史的にも重要な広場である
マドリードの中心部にあるPLAZA MAYOR(マヨール広場)。ここは、古くは、現在のトレド通り、アトーチャ通り、また、その他の近郊の町の合流点として、PLAZA DEL ARRABAL(アラバル広場)の名にて栄えた。この場所に市場ができたのである。1561年にマドリードに都が移り、その後1580年に、フェリペ2世は、当時有名だった建築家JUAN DE HERRERA(フアン・デ・エレラ)に、その広場の改造を指示した。
晴れた日には、ここで食事をしたり、お茶をする人がいっぱい
広場は、これまで合計3回の火事によって被害を受けた。第1回目は、1631年。そして、第2回目は、1670年。そして、第3回目は、1790年である。最初は、JUAN DE GOMEZ DE MORA(フアン・デ・ゴメス・デ・モラ)、第2回目は、TOMAS ROMAN(トマス・ロマン)、第3回目は、JUAN DE VILLANUEVA(フアン・デ・ビジャヌエバ)の有名建築家が再建を行い、現在の形になっている。
さまざまな歴史を越えて、今は市民の広場となっている
広場の中心には、JEAN BOULOGNEとPIETRO TACCAの作品である、フェリペ3世の銅像が立っている。広場は、町の商業的な役割だけでなく、闘牛や異端審問なども行われていた。また、広場の名前が、上記のアラバル広場よりマヨール広場となるまで、コンスティトゥーシオン広場、レアル広場、レプブリカ広場と何度も名前を変えられたが、スペイン内戦終了後、マヨール広場という名前に落ち着いた。広場自体も、何度も名前を変えられ、落ち着かなかったに違いない。
いろんな芸術家がいっぱいの広場。さすが芸術の国である
広場は現在、観光客や地元の人たちが食事や、お茶を飲みに訪れる広場となっている。天気のよい午後、お茶をするには、もってこいの場所である。また、広場内には、ドンキ・ホーテとサンチョ・パンサ等、さまざまな変装をして立っている芸術家たちがいて、とても楽しい。写真を撮るのには、お金を払わないといけないが、こんな芸術家も日本では見られないので、いい機会かもしれない。クリスマスの時期には、ここにクリスマス・マーケットが出る。
■ PLAZA MAYOR(マヨール広場)
場所:PUERTA DEL SOL(ソル門)の南西
バス:3, 25, 39, 148番
地下鉄:2, 5番 OPERA(オペラ)駅
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