国王一家を描いた『カルロス4世の家族』

「スペイン3大画家のひとりゴヤの生涯と作品から、当時の社会背景を知る」その2からの続きです。さて、2つのマハを描いたころの1800年から1801年にかけてゴヤは、縦2.8m、横3.4mという大きなキャンバスにほぼ実物大で、『カルロス4世の家族』という国王家族が集合した作品を描いています。この作品はベラスケスの名作「ラス・メニーナス(女官たち)」を手本にして描かれたと言われ、絵の左奥に絵を描いてるゴヤ自身がうっすらと配置されています。ひとり後ろを向いて顔が見えない女性がいますが、これはまだ決まっていなかった皇太子の婚約者と伝えられています。この作品の問題は、国王一家にあまり知性や威厳が感じられないということでした。

『カルロス4世の家族』(プラド美術館収蔵) 『カルロス4世の家族』(プラド美術館収蔵)

美化するよりもリアルを追求した肖像画

当時、肖像を依頼された画家は、実際よりも“盛って”本人よりも格好良く、あるは美しく描くことは当たり前でした。しかしこの絵のカルロス4世は凡庸な人物に見えますし、王妃マリア・ルイスも年老いて醜く見えます。雇われているのにわざとひどく描いたとは考えられませんから、きっとこの絵の通りだったのでしょう。それになぜかマリア・ルイスはこの絵に満足したと伝えられています。この『カルロス4世の家族』も、プラド美術館に展示されています。以降、ゴヤは精力的に多くの肖像画を描いてます。パトロンのひとりであった宰相ゴドイも、『マヌエール・ゴドイの肖像』を描いていますね。こちらも格好いいかと言われれば、微妙なところがあります。たぶん、リアルを追求するとこうなったのではないでしょうか。

ナポレオンのフランス軍がスペインに

さて、スペイン王家はフランス王家と同じブルボン家ということもあり、当初はフランス革命に否定的でした。しかしナポレオンが政権を取ると、実際に政治を行っていた宰相のゴドイや国民の多くはそれに協力する形をとります。プロイセン、オーストリア、ロシアを破ったナポレオン全盛期には、それに逆らうことが現実的ではありませんでした。しかしナポレオンの大陸封鎖令に従わないポルトガル(親イギリス国)を討つため、1807年フランス軍がスペインに入ってくると、人々の心はフランスから離れていきます。フランス軍の各地での暴虐が、人心を離反させたのです。

フランス軍の暴虐と立ち向かう市民

1808年、貴族たちは親フランスのカルロス4世を退位させ、イギリス寄りの皇太子フェルディナンドを王位につかせます。ゴドイも失脚しました。ナポレオンはそれに対抗して自分の弟をスペイン王位につけますが、スペインのあちこちで暴動が起きます。このころにはゴヤは宮廷に行くどころではなく仕事も失い、生活が困窮していたようです。そしてナポレオン軍の暴虐を目の当たりにし怒りを、そしてそれに反抗する市民たちの姿に感銘を受けました。1814年にゴヤはフランス軍に対する反乱を描いた2枚の絵を描いています。2作品ともナポレオン軍が撤退した後のマドリードの暫定政府から依頼されたものです。ひとつは『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』と題がつけられたもので、マドリードの広場プエルタ・デル・ソル近くで、馬上のフランス軍とその配下のエジプト人傭兵部隊に立ち向かう市民たちが描かれています。(その4に続く)

『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』(プラド美術館収蔵) 『1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘』(プラド美術館収蔵)