活況を呈していた19世紀末のバルセロナへ

「スペインが生んだ偉大な画家ピカソの足跡を訪ねて/マラガ編」に引き続き、ここからはバルセロナ編です。1891年、ピカソ10歳のとき、一家はガリシア地方のラ・コルーニャに移住します。ピカソは翌年、地元の美術学校に入学。その数年後の1895年、一家はバルセロナに移住します。当時のバルセロナは産業革命に湧く活気のある大都市で、都市が再開発され、1888年には万博も開かれていました。ガウディやモンタネールといったモデルニスモの建築家たちの建物が街に並び、グエル邸の竣工も1888年です。サグラダファミリアも建設中でした。画家のミロも1893年にバルセロナで生まれています。ピカソの才能はこの頃には開花しており、1897年に描いた作品「科学と慈愛」が作品展に入賞します。ピカソ16歳の時でした。1900年にピカソは初めてパリへ行き、その後はパリとバルセロナを往復することになります。

バルセロナのゴシック地区にある、カテドラル前の広場 バルセロナのゴシック地区にある、カテドラル前の広場

「青の時代」を経て、パリへ移住

前途洋々のピカソでしたが、1901年、親友の死を機に、ピカソは「青の時代」と呼ばれるブルーを色調とした暗く陰鬱な画風の時期に入っていきます。ピカソ20歳のときでした。これは1904年にパリに移り住むまで続きました。その後、ピカソはパリを拠点に活動を続けます。ピカソの画風は、キュビズムやシュールレアリズムなど変化を続けますが、スペイン内戦時には人民政府政府を支持したため、フランコ政権が内戦に勝利すると故国スペインには戻れなくなります。その間の1937年、ナチスドイツによるゲルニカの爆撃を描いた代表作『ゲルニカ』が生まれます。

若きピカソが出入りしていたカフェ&レストラン「4匹の猫」

バルセロナで青年期を過ごしたピカソ。ここにもピカソゆかりの場所があります。それが1897年創業というカフェ&レストラン「クアトラガッツ(4匹の猫の意味)」です。ここはバルセロナのモデルニスモ運動の中心的な場所として、多くの芸術家たちが集まった場所。ピカソもその常連で、当時、店のメニューやポスターも手がけたとか。しかしこの店は短命に終わり、1903年に閉店してしまいます。しかし1981年に当時の内装を復元して再オープン。今も営業しているので、ゴシック地区観光の際にでも寄ってみてはどうでしょう。カテドラルから徒歩2分ほどです(ピカソ美術館からは徒歩15分ほど)。手前がカフェ、奥がレストランです。建物自体も、モデルニスモの代表的な建築家カダファルクによるものなので、あわせて楽しみましょう。(後編に続く)

クアトラガッツ 4GATS

[住所]Calle Montsio,3-bis, BARCELONA 
[電話](93)3024140 [営業時間]8:00〜翌2:00