イスタンブール旧市街の中心にあるローマ遺跡

ローマ、ビザンツ帝国、そしてオスマントルコと3つの帝国の都として1600年あまり栄えた都市、イスタンブール。ここにはそれこそ数多くの見どころがありますが、今回はそのなかでもローマ時代からビザンツ帝国時代まで、両帝国の中心部にあった大競技場の跡、ヒッポドロームを紹介しましょう。入場料がかからない見どころですが、たいていの団体ツアーはここに寄ります。それというのも、この場所はイスタンブールの歴史を語る上で、省く訳にはいかない場所だからです。

オベリスクが建つイスタンブールのヒッポドローム オベリスクが建つイスタンブールのヒッポドローム

ヒッポドロームのある場所は?

「パンとサーカス」という言葉があります。ローマ時代、皇帝は市民に無料で食糧を提供するほか、娯楽も無料で提供していました。それさえ怠らなければ、市民は不満をつのらせることがないからですが、「食」と「娯楽」さえ与えておけば市民は操れるという風にもとれます。現在のトラム(路面電車)の「スルタンアフメット」駅からブルーモスクの方へ歩いて行くと、長方形の大きな広場に出ます。ローマ時代、ここには4万人を収容できるという長方形の大競技場がありました。現在の広場はそのトラック部分だけですが、かつてはそれを囲むように階段式の客席が造られており、皇帝の宮殿に隣接していました。4万人収容というと、東京ドームぐらいのものでしょうか。

戦車競争や剣闘士の試合が行われた場所

この競技場が最初に造られたのはローマのセプティミス・セベルス帝時代の203年ですが、330年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)がローマ帝国の首都になると、コンスタンティヌス帝により拡張されます。ここでは映画『ベンハー』の一場面のような戦車競争や、『グラディエーター』のような剣闘士たちの戦いが行われていたのです。また、大人数を収容できることから、ここでは皇帝の即位式などの国家イベントも行われていました。かつてこのヒッポドロームは、いくつものモニュメントで飾られていましたが、現在残るのはトラックの中央にあった3本のモニュメントのみになってしまいました。(その2に続く)