十字軍によって奪われたモニュメント

イスタンブールのヒッポドロームについて、その1からの続きです。さて、歴史に詳しい方なら、エルサレム奪回が目的だった十字軍がやがて目的を失い、第4回十字軍ではベネチア主導でコンスタンティノープルを占領し、短期間ながら「ラテン帝国」を打ち立てたことをご存知でしょう。その時、この競技場にあったすばらしい4体の青銅の馬のモニュメントは奪われ、ベネチアに運ばれてしまいました。現在、この青銅の馬の像は、ベネチアのサンマルコ寺院の2階部分に展示されています。さて、ここで現在も見られる3本のオベリスク(記念柱)について説明しましょう。

「テオドシウスのオベリスク」は、実はエジプトから運ばれた 「テオドシウスのオベリスク」は、実はエジプトから運ばれた

なぜか建っているエジプトのオベリスク

まず一番立派で高くそびえるのが、「テオドシウスのオベリスク」です。“テオドシウスの”とローマ皇帝の名前がついていますが、これを造ったのは紀元前1500年頃のエジプトのファラオ、トトメス3世です。そのため、石柱の表面にはエジプトの神聖文字が彫られています。その約1900年後の390年に、皇帝テオドシウスがここに運ばせたのです。その際に、台座にあたる部分に大理石の台を置き、自分を讃える浮彫りを新たに彫らせました。よく見ると、皇帝テオドシウスやその家族、観客席の観衆などが描かれています。

アポロン神殿にあった「蛇のオベリスク」

3本のオベリスクの真ん中にある、先が折れた小さな青銅のオベリスクは「蛇のオベリスク」と言われているものです。これが造られたのはBC479年。ギリシャ連合軍がプラタイアの戦いでペルシャに勝った記念として、ペルシャの兵士たちの盾を溶かして製造したもので、もともとギリシャのデルフォイのアポロン神殿に飾ってありました。現在、先端部分は折れてなくなっていますが、3匹の蛇がとぐろを巻いて絡み合って上って行くデザインでした。現在、蛇の頭の部分のひとつが、イスタンブール考古学博物館に展示されています。

十字軍によって表面が剥がされたオベリスク

最後のオベリスクは「切積石のオベリスク」で、ただ石が積まれて塔が造られているという殺風景なものです。これは940年にビザンチン皇帝のコンスタンティン7世が石灰岩で造らせたもの。“大理石”でないところに国力の衰えが感じられますね。かつて表面は青銅の板で覆われ、いろいろな絵柄が描かれていました。しかしこれも第四回十字軍により、青銅部分が略奪され、溶かされてしまったのだそうです。(その3に続く)