イスタンブール市民の喉を潤した上水道

イスタンブールはいくつかの丘の上に作られた都で、ビザンツ帝国やオスマン帝国の最盛期には50万人が住む当時の大都市でした。そのため市民の飲む「水」の確保は大きな問題でした。西暦330年、もともと小さな都市だったビザンティウムを帝国の首都に遷都したコンスタンティヌス大帝は、さっそく都市造りに着手しました。そのひとつが郊外から上水道を引いて、市街の貯水場に水を溜めることです。貯水場は開放式と閉鎖式の2種類があります。開放式は丘上に池などを作るもので、現在もその跡がいくつか市内に残っています。閉鎖式は地下に広い空間を作って、水道によって引かれた水や雨水などを溜めます。今回紹介するのは、その閉鎖式のひとつ「地下宮殿(イェレバタン・サライ)」です。

地上からは想像もつかない空間が地下に広がる「地下宮殿」はおすすめの場所 地上からは想像もつかない空間が地下に広がる「地下宮殿」はおすすめの場所

旧市街の地下に広い空間が

トルコ語で「イェレ」とは「地に」、「バタン」は「沈んだ」、「サライ」は「宮殿」という意味。「バシリカ・シスタン」ともいうこの地下貯水池は、イスタンブールでも人気の観光名所のひとつです。旧市街の中心部、アヤソフィアの近くにありますが、もちろん地上からは見えません。外を通ると何の変哲もない建物の前の歩道に人が並んでおり、いったいなんだろうかと思うでしょう。それでは、チケットを買って入場してみましょう(10リラ=500円、ミュージアムパスは不可)。狭い階段を下りて行くと、突然目の前に、広い地下ホールが見えてきて驚くはずです。長さ140メートル、横70メートル、高さ8メートルの空間を、28本ずつ12列に並んだ円柱が支えています。控えめにライトアップされたその空間は、まるで異世界に来たよう。地上の騒がしさも、ここでは夢のようです。

1000年に渡り貯水池として使われていた空間

「宮殿」と名前がつけられていますが、この空間が作られた目的は、先に述べたように貯水です。そのため、林立する円柱も当時は水の中に沈み、人々が目にすることはありませんでした。この貯水槽が造られた時代は、4世紀のコンスタンティヌス帝から6世紀のユスティニアヌスにかけてのころといわれています。当時、地上にあったフォルム(広場)を解体して、地下に掘り下げて造ったとか。その後、数百年続いたビザンツ帝国時代とそれを引きついだオスマン帝国時代に、この貯水池は市内の重要な水源として活用されていました。中を歩いてみましょう。柱の間を縫うように、見学用の通路が造られています。よく見ると柱のデザインや形はみなバラバラです。人に見せるために造ったのではないので、見かけは気にしていなかったのです。(後編につづく)