オスマン帝国第2代君主、オルハンの兜

「イスタンブールの軍事博物館・その1」からの続きです。それでは館内に入ってみましょう。最初のほうの展示は、トルコ人がまだ遊牧国家だった頃の武器なども展示されています。このころのトルコ人は中国では「突厥(とっけつ)」と呼ばれていました。トルコ人はやがて傭兵として重宝され、今のイラン辺りでセルジューク朝などの国を作ります。その流れの中でオスマンベイが、現在のアナトリア半島西北部で創始したのがオスマン帝国です。ここには、古いものでは第2代君主である「オルハンの兜」が展示されています。14世紀のものなので、かなりボロボロにはなっていますが…。

迫力あるコンスタンティノープル攻略のジオラマ 迫力あるコンスタンティノープル攻略のジオラマ

軍事博物館のハイライトはコンスタンティノープル攻防戦

さて、展示の中でもっとも人気があるのが、メフメット2世によるコンスタンティノープル(現イスタンブール)攻略戦のコーナーでしょう。塩野七生著『コンスタンフィノープルの陥落』ファンの私としては、食い入るように見てしまうところです(笑)。ビザンツ帝国末期の1543年、コンスタンティノープルの周囲をオスマン軍が取り囲み、攻撃を仕かけます。しかしコンスタンティノープルは海に突き出た半島の先端にあり、周囲を城壁に囲まれ、海側からの攻撃は不可能。さらにビザンツ帝国側は、北側の金角湾入口にオスマン側の船が侵入できないよう、鉄の鎖を張って防ぐのです。最初のセクションでは、その包囲戦のジオラマと、金角湾に張られた鎖(本物)が展示され、ファンはもう興奮気味です。

前代未聞の艦隊の山越え

鎖によって金角湾に侵入できないオスマン軍が考えた奇策が、「オスマン艦隊の山越え」でした。金角湾の向かいのガラタ地区は海から盛り上がった丘になっているのですが、ここにオスマン軍は丸太を敷き、牛に船を引かせて船の山越えをしたのです。突然、金角湾に現れたオスマン軍の船に、ビザンツ軍は動揺しました。この模様がジオラマや、当時の様子を描いた絵でわかります。その鎖の実物があるのですから、戦史好きは興奮しますよね(笑)。艦隊の山越えの絵も想像力を喚起させるもので、なかなかいいです。

城壁を崩した“ウルバンの大砲”

オスマン軍はやがてコンスタンティノープル西の陸地側から大軍を率いて攻めますが、テオドシウス帝が作った三重の城壁をなかなか破ることができません。そこで登場したのが名高い「ウルバンの大砲」です。これはハンガリー人のウルバンがメフメット2世に売り込んだもので、500キロある砲弾は、城壁を破壊するのに威力を発揮しました。本物は博物館に運び込めないので中庭に展示されています。このテオドシウスの城壁攻防戦のジオラマが、実にカッコいいんです。雲霞のごとく押し寄せるオスマン軍、白兵戦となった城壁付近、白馬に乗ったメフメット2世、もう『コンスタンフィノープルの陥落』ファンは見とれてしまいます(笑)。この白兵戦の中、最後のビザンツ皇帝は命を落としました。(その3に続く)