「兵隊王」に関連する現地ガイド記事

「兵隊王」に関連する現地ガイド記事

兵隊王に関する現地ガイド記事を集めました。兵隊王の情報やイベント情報や今話題のグルメ、旬のおすすめ情報など季節ごとに現地での楽しみ方をご紹介します。あわせて気になる海外ツアーもご紹介!

ベルリンの壁崩壊によってポツダムに戻り、「犬の墓」で静かに眠る大王の墓

[2009/01/28] Kei Okishima

プロイセン王フリードリヒ2世の功績は、彼が「大王」と呼ばれていることから分かるように偉大なものであった。兵隊王と言われている厳格な父から優れた軍隊を譲り受け、ハプスブルク家を打ち負かすなど諸外国と戦い勝利をおさめる。その一方、母譲りの繊細な感性を生かし、幼いころから音楽や文学に親しんでいた。そしてサンスーシ宮殿という夢のような宮殿を造りあげ、そこに癒しを求めるようになる。そこには男性しか立ち入ることが許されなかったため、大王はホモであるという噂さえ残っている。 続きを読む



2つのブランデンブルク門、古いのはどちら?ポツダムに残る小さな物語たち

[2008/12/10] Kei Okishima

このブランデンブルク通りが建設されたのは1735年、プロイセン王フリードリヒ1世の時代だった。兵隊王という名前で知られるこの王は、1713年に王位に就くと、軍隊をポツダムに移動させ、民家の屋根裏に住まわせた。その目的は逃亡できないようにすること。水に囲まれているポツダムは兵士が脱走することが極めて難しく、民家の住民に兵士が逃げないよう監視させていたのだ。これらの民家はポツダム・バロックと呼ばれる特徴ある建物であり、こんな家に住めるとは喜ばしいことのように見える。しかし監視という役目を負った住民の… 続きを読む



川と湖に囲まれたポツダムに残る赤レンガのオランダ地区

[2008/12/02] Kei Okishima

有名なフリードリヒ大王の父であるフリードリヒ1世は、軍事力の強化のためにひたすら努力し、巨費を投じていた。軍事力拡大には兵隊が必要。しかし東の辺境で人口が少なかったためにその打開策として、宗教迫害者などのオランダ移民を多く受け入れていた。そして1742年、オランダの建築家にオランダからの移民を住まわせる住居を建てさせた。それが現在でも残るこのオランダ地区である。フリードリヒ1世はやたら背の高い男を好み、彼の集めた兵士は190cm以上の大男ばかりだった。そのため兵隊王というあだ名が付けられていた。 続きを読む



 

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