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「ベルリンの壁 地図」の見どころ情報

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「ベルリンの壁 地図」をお探しの方にピッタリの見どころ・ガイド記事はこちら

検索結果10

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シマウマ模様のインテリアが斬新な、ニュクス・ホテルのスタンダードルーム
  • テーマ:
  • 憧れホテル
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/チェコ/プラハ 
プラハは10世紀頃からボヘミア王国の首都として栄えていたが、近世の大戦には巻き込まれることがなかった。それ故にカレル四世が築いた中世ゴシックの町並みと、アール・ヌーヴォーなど近世の町並みが入り交じる美しい古都だ。ベルリンの壁崩壊後は社会主義時代に建てられたホテルを西側資本のホテルが次々に買収していった。その後、西側資本で新たに多くの高級ホテルが建設された。近年になって、プラハには大型ホテルのチェーンではない独自のホテルが誕生している。中心部でも戦火に遭っていない館が多いので、内部を改修して素敵なプチホテルがオープン。外観は古めかしい歴史的建物だが内部は快適な造り、というわけだ。そして昨今、次の時代を感じる新しいホテルが出現。その一つが若い人々に圧倒的な人気のニュクス・ホテルを紹介しよう。

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中央広場で繰り広げられる民族舞踊
  • テーマ:
  • 観光地・名所
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ハンガリー/ショプロン 
ハンガリーの最東端、オーストリアとの国境の町ショプロン。地図で見ると、オーストリア領土の中にショプロンの町だけが突きでている。まるでオーストリアに3方向を取り囲まれた様な状態だ。それ故に、ベルリンの壁崩壊の切っ掛けを作った「ヨーロッパ・ピクニック」はショプロン郊外にある国境前の草原で開かれた。それはもう20年以上も前の出来事。当時の事を知る若者たちは少ない。今やショプロンは平穏で穏やか。祭り好きな市民がのんびりと暮らす明るい町だ。ハンガリーの民俗舞踊は男性がかなりハードな動きをする。祭りが開かれている時にハンガリーの町へ行くと、女性の美しい民族衣装と男性の力強い踊りを鑑賞することができる。

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「ベルリンの壁」にヒットする見どころ・ガイド記事はこちら

36万個の瓦礫を使って再建されたノイマルクト広場のフラウエン教会
  • テーマ:
  • 歴史
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ドイツ/ドレスデン 
東西ドイツが統一されてから早くも30年が経過した。今、ドレスデンは18世紀のアウグスト強王の時代を彷彿させる美しい古都になっている。1990年、ベルリンの壁が崩壊した翌年の夏にドレスデンを訪れたとき、ノイマルクト広場の北端に瓦礫が積み上げられていた。第二次世界大戦の爆撃で崩壊したフラウエン教会の瓦礫だった。終戦から45年も経つのに何故今まで放置されているのだろう、と不思議に思う。教会の塔などでも残っていれば戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして保存もされていよう。しかし僅かに壁の一部しか見られない殆ど瓦礫状態なので、東ドイツの経済状態から撤去費用を捻出できずに放置したままなのだと思った。ところがそれから数年後、同じ場所に行ってみるとノイマルクト広場いっぱいに瓦礫が整然と並べられていた。何のために?

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町の中心、旧市街のマルクト広場は夜景が美しいことで知られている
  • テーマ:
  • 物語のあの場所
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/チェコ/カルロビバリ 
ドイツのマンハイムからひたすら東へ、国境を越えてチェコのプラハまで続く古城街道という観光ルートがある。ヨーロッパにはどこの国でも中世の城がたくさんあるので、ヨーロッパのあちらこちらに古城街道がありそうだが、協会が設立されているのはドイツとチェコを結ぶ古城街道だ。もともとドイツにはマンハイムとニュルンベルクを結ぶ300キロほどのドイツ古城街道があった。1954年に開発された観光ルートで、有名なロマンティック街道の1950年設立に次いで2番目に古い。それが1989年の“ベルリンの壁崩壊”直後に東欧が開け、1994年にニュルンベルクからチェコのプラハまで延長されて1000キロに近い大街道となった。チェコ側には有名な温泉町やビールの町が街道上にあり、最後に名城カルルシュティン城が現れてフィナーレのプラハ城へと続く。この古城街道のチェコ側最初の町がヘプChebであり、ドイツ側から電車に乗ってチェコに入ると、最初に停車するのがヘプだ。

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西ベルリン側から東ベルリンを覗いたり、壁を壊そうとしている人たち(1990年7月)
  • テーマ:
  • 歴史
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ドイツ/ベルリン 
2020年10月3日は東西ドイツが統一して丁度30年になる。その前年の11月9日にベルリンの壁が崩壊した。今や世界の20代の若者たちはベルリンの壁を知らない。当時10歳程度だった人たちも、ベルリンの壁崩壊の衝撃はほとんど記憶にないであろう。それほど東西の冷戦時代は過去のことになってしまった。ベルリンの壁がどんなものだったのか、現在は市内に保存されているいくつかの場所でオリジナルを目にすることができる。幅の広い緩衝地帯や見張り塔も一部保存されている。それ以外は壁も見張り塔も、崩壊から2年ほどの間に綺麗に撤去されてしまった。跡地は新たに開発され、昔の面影は微塵もない。壁が崩壊したとき、まさか1年も経たぬうちに東西ドイツが統一するとは誰も予測していなかっただろう。思わぬ速さで歴史が動いたのだった。

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ニューヨーク・パレスのエントランス部分に施された美しい彫像
  • テーマ:
  • 憧れホテル
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ハンガリー/ブダペスト 
ベルリンの壁が崩壊したとき、東欧諸国の中でいち早く西欧化したのがハンガリーだった。ハンガリーは早い時期から自由経済を導入しており、西側への往来も比較的緩かった。ベルリンの壁を押す切っ掛けとなったのが、ハンガリーのショプロン郊外で行われた「ヨーロッパ・ピクニック」と称する集会であったことは知られている。壁崩壊後はプラハやブダペストが世界に紹介され、その中でブダペストのカフェ・ニューヨークは“世界一美しいカフェ”として大きな記事になった。グラビアの1ページを飾った写真は装飾的な大理石の壁、波打つ柱、レトロなシャンデリア、見事な天井画などなど・・・。誰でも東欧へ旅行できるようになると、世界中から多くの観光客がブダペストを訪れ、カフェ・ニューヨークにやってきた。皆、一歩中に足を踏み入れると立ちすくんでインテリアの美しさに見とれていた。

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ベルリナーお気に入りのカフェ「District
  • テーマ:
  • グルメ/スイーツ
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ドイツ/ベルリン 
「District Coffee」はベルリンのお洒落なミッテ地区の北側で落ち着いたエリアにあります。ベルリンのカフェ通にお気に入りのカフェを聞いたら必ずあがってくる「Distrikt Coffee」。ベルリンのロースタリーで焙煎されたこだわりの豆を使用したコーヒーと、豊富なフードメニューが人気の秘密。特に土日はブランチ目当てでやってくるお客さんで店内は常にいっぱいです。

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キュートな駅舎「ハッケシャー・マルクト駅」
  • テーマ:
  • スポット
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ドイツ/ベルリン 
「ハッケシャー・マルクト駅」は駅の開設当時の面影をそのまま残してあるメルヘンチックな駅舎が特徴的です。駅前にはカフェやレストランが並び、天気の良い日はテラス席は常に満席です。休日は青空マーケットも開催され、多くの人々で利用されています。

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21マジャル・ヴェンデーグレーの壁が開放されたスペース
  • テーマ:
  • グルメ
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ハンガリー/ブダペスト 
近年のハンガリー料理には驚くものがある。まず、控えめのボリューム、薄味、見た目の美しさだ。ベルリンの壁崩壊後、観光客が行きやすかった東欧の一番人気がハンガリー。食事は美味しかったけれど量の多さには閉口したものだ。90年代のブダペストで、観光客は社会主義時代から続く老舗レストランへ行った。定番のハンガリー料理のみだったが、ロマ民族バンドのメランコリーな演奏が旅情を誘った。2000年代になると、新しいレストランが続々と出現し、生演奏はポップミュージック、料理もインターナショナルなものを出すようになる。2010年以降は老舗レストランの料理がボリュームを控えて薄味になっていく。そしてまもなく2020年を迎えようとする今日、2000年以降にオープンして定着したレストランは、西ヨーロッパ諸国の一流レストランよりも美味しい、と外国人観光客の間で評判がいい。

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ヨーロッパ・ピクニックが開かれた場所。中央に立つのは開催を記したポール、左手は休憩所、右手には記念像が見える。
  • テーマ:
  • 歴史
  • 行き先:
  • ヨーロッパ/ハンガリー/ショプロン 
1989年11月9日、突如としてベルリンの壁が崩壊し、世界中の人々を驚かせた。これは突然起こった出来事ではあるが、必然的にそうなった出来事でもある。ヨーロッパが西側と東側に分かれたのは第二次世界大戦後だが、ベルリンの壁が構築されたのは1961年のこと。その後、社会主義国の東ヨーロッパと自由主義国の西ヨーロッパとの間に鉄条網が張り巡らされた。これは“鉄のカーテン”と呼ばれて西側と東側を完全に遮断するものだった。ところがハンガリーでは比較的早くから自由主義経済を意識し始め、冷戦時代の1970年代から人の行き来が緩やかに行われていた。1980年代になると国民の間で民主化の動きが活発になり、政府もそれを黙認していた。1989年になると、当時のネーメト首相がオーストリアとの国境にある鉄条網を撤去。これを知った東ドイツ国民は、ハンガリーへ行けばオーストリアに脱出できると考えるようになった。

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