コーヒーが結ぶアメリカとブラジルの関係

コーヒーの歴史の話が続きます。さて、アメリカではイギリス植民地時代、紅茶とコーヒーは両方飲まれていたのですが、アメリカ独立戦争のきっかけとなった1773年の「ボストン茶会」事件により、一気に「コーヒーを飲もう」運動が発展。独立後は、コーヒーが国民的飲み物になりました。しかしアメリカではコーヒーはほとんど産しません。それはおもにブラジルから輸入されました。アメリカ人の発展と共に、ブラジルのコーヒー産業はどんどん大きくなって行きました。農園を維持するために、多くの奴隷がアフリカから連れてこられました。奴隷制が廃止されると、今度はヨーロッパからの移民が続きます。コーヒーは国民的産業となり、現在に至るまでの150年間、ブラジルは世界一の輸出量を誇っています(世界全体の1/3)。しかし、それを握っているのは、ずっとアメリカ系の企業ということも、ブラジル産のコーヒーを飲む時に、忘れてはならないことかもしれません。

コーヒーの歴史・その4 アメリカ人が飲むコーヒーを支えるのは? コーヒーの歴史・その4 アメリカ人が飲むコーヒーを支えるのは?

「さび病」がもたらしたコーヒーと紅茶の棲み分け

1870年代にインド、スリランカで流行ったコーヒーを枯らす「さび病」は、やがてジャワにも伝わりました。この「コーヒー農園の壊滅」は、アメリカ大陸をのぞき世界的な出来事だったので、イギリスは貿易をコーヒーから茶へ切り替えます。世界的に「お茶の巻き返し」が始まります。インドやジャワでは、コーヒーに変わり、茶の生産が盛んになりました。その一方で、この病気の被害を受けなかったブラジルは、1920年代には、世界のコーヒー生産量の8割を占める一人勝ち状態になりました。アジアではコーヒーはそれまでの品種は病気によりほぼ一掃され、改良を重ねた結果、現在のロブスタ種に切り替わり、再出発します。

一杯のコーヒーから、その国の歴史を考える

私たちは、海外に行くと、その国の人たちはずっと昔からその飲み物を飲んでいるのだろうと、つい思ってしまいます。「インド人は2000年前からチャイを飲んでいた?」。いえいえ、一般に普及したのはたかだか100年前ぐらいからです。「トルコではコーヒーよりもチャイを飲む人が多い」。トルコで本格的な茶の生産が始まったのは1950年代のことです。チャイを飲まないインド人、カフェのないパリ、そんなことを想像しながら旅をすると、また違った物の見方ができるようになりますよ。