一躍、メンフィス出身の大スターに

グレイスランドへの旅・その1からの続きです。エルヴィスのデビューまでの道のりは、別記事の「サンスタジオ」で書いたのでそちらをご覧ください。初めてラジオからエルヴィスの歌声を聴いた時、視聴者は歌っているのは黒人だと思ったそうです。当時の白人歌手でこれほどのリズム感を持った人がいなかったのでしょう。それに当時は、今と違って人種によって聴く音楽もラジオ局も分かれていました。その垣根を乗り越えたのがエルヴィスであり、ロックンロールでした。やがて大手レコード会社と契約したエルヴィスは、全国的な大ヒットを飛ばし、大金持ちになります。そして1957年3月、22歳のエルヴィスはメンフィス郊外に豪邸“グレイスランド”を購入します。

グレイスランドのある通り。観光客の姿も グレイスランドのある通り。観光客の姿も

グレイスランドで家族と暮らすエルヴィス

グレイスランドという名前は、かつてのこの地の所有者が娘グレイスの名前をとってつけられたと言います。この邸宅が建てられたのは1939年でした。成功を収めていたエルヴィスなので、ショービスの中心であるロサンゼルスやニューヨークにも住めたことでしょう。しかし彼は、両親と一緒に暮らすため、メンフィスを離れることはしませんでした。エルヴィスは1958年に徴兵され、このグレイスランドに戻ってきたのは除隊後の1960年。エルヴィスは駐屯地のドイツで、部隊長の娘プリシラと知り合っていました。高校生のプリシアをグレイスランドに住ませて、学校に通わせます。エルヴィスは1960年の除隊後、ライブ活動はほとんど行わず、活動を以前から行っていた映画に移していました。なので映画撮影とレコーディング以外は、このグレイスランドに住んでいたのでしょう。1967年にプリシラと結婚。結婚の翌1968年に長女、リサ・マリーが誕生します。

エルヴィスの死後、博物館として公開されるように

グレイスランドはメンフィス国際空港近く、ダンタウンからは20kmほどの郊外にあります。1977年8月16日、エルヴィスはこのグレイスランドの自室で倒れ、帰らぬ人になります。42歳でした。当初、エルヴィスの墓は墓地にありましたが、盗掘未遂事件を受けてこのグレイスランドの敷地内に再埋葬されました。エルヴィスの死後、この邸宅の管理に莫大な維持費がかかるため、1982年から博物館として一般公開されます。入場者数は年間約60万人。2006年にはアメリカ国定歴史建造物に登録されます。歌手の私邸が、国の歴史的モニュメントとなったのです。(その3へ続く)