30年ぶりに訪れたニューオーリンズ

年間900万人近い旅行者が訪れるという、アメリカ南部の観光都市ニューオーリンズ。2016年の4月、私は30年ぶりにこの町を訪れました。前回訪れたのはまだ私が学生だったころの1985年。それは私にとっては初めての海外旅行だったので、当時、自分の中で緊張と興奮が渦巻いていたのを覚えています。1985年のアメリカは不況を脱し、好景気のバブル時代でした。とはいえその数年前までは不況だったので、あちこちに廃墟となったビルや空き地があり、そして通りにはホームレスの姿も目立ちました。

ミシシッピ川の河口近くに開けた町、ニューオーリンズ ミシシッピ川の河口近くに開けた町、ニューオーリンズ

町の名前はフランス語が由来

ニューオーリンズは、1718年にフランス人入植者によって「ラ・ヌーヴェル・オルレアン」として町が作られたことからその歴史が始まりました。1722年にはフランス領ルイジアナの首府になりましたが、ナポレオン時代の1803年にはそのルイジアナがアメリカに売却されてしまいます。以降、この町は英語で「ニューオーリンズ」と呼ばれるようになります。まもなく1812年に米英戦争が始まり、ニューオーリンズは英軍の侵攻を受けますが、ジャクソン将軍率いるアメリカ軍が反撃を開始。1814年12月末から1815年1月にかけて、ここに有名なニューオーリンズの戦いが行われます。

激戦だったニューオーリンズの戦い

小さな前哨戦を終え、お互いの砲撃が始まったのは1815年1月1日。戦いは1月26日まで続きました。ニューオーリンズ在住の有名な海賊ジョン・ラフィットの私兵1000人が加わったこともあり、結果はアメリカ軍の勝利に終わりました。死者・負傷者は、アメリカ側が100人以下だったのに、英軍は2000人。アメリカ軍を率いたジャクソン将軍は人気が出て政界入りし、1828年にはアメリカ合衆国第7代大統領に就任します。しかし、この戦いの始まる前の12月24日、ベルギーのガンで米英の間で和平協定が結ばれていました。電信技術が発明される以前のことなので、双方ともにそのニュースを知ることもなく戦闘状態に入ったのです。無駄な戦い、兵士たちの無駄な死でした。(後編に続く)