鉄道建設の大きな力となった中国系移民

「NYのチャイナタウンと中国系移民 その1」からの続きです。さて、清が自国民の海外渡航を認めた1860年の「北京条約」以前のアメリカでは、南洋華僑(東南アジアに移住した中国人)の移民はいても、中国系移民の数はそれほど多くはありませんでした。しかし海外移住が合法となると、労働者としてアメリカにも多くの移民がやってきます。初期はサンフランシスコなどの西海岸の都市や、カリフォルニアの金鉱山などで働いていた中国系移民ですが、1865年に南北戦争が終結すると、大陸横断鉄道の労働力として、アメリカ大陸内部にも移動していきます。1869年の横断鉄道開通以降は、アメリカ東部にも中国人たちが移り住むことになりました。

チャイナタウンの一画にある公園で。中国系の老人たちが、のんびりとした午後を過ごしていた チャイナタウンの一画にある公園で。中国系の老人たちが、のんびりとした午後を過ごしていた

アメリカ初の移民制限法である「中国人移民排斥法」

しかし1870年代に入ると、アメリカにおける急激な中国人移民の増加は、激しい中国人排斥運動を呼び起こします(この時代のカリフォルニアでは、中国系は州人口の9パーセントを占めるほどでした)。鉄道の完成とともに職を失った中国人労働者の多くは英語が話せず、低賃金労働者となりました。すると他の移民たちは、より安い賃金で働く中国人に仕事を奪われることを危惧します。また、中国人たちが自国の習慣をそのまま持ち込み、弁髪や中国服の姿でいることに他のアメリカ人たちは強い抵抗を感じました。排斥運動はやがて暴力行為に発展し、チャイナタウンが焼き討ちされて中国人移民が殺される事件が相次ぎました。こうして1882年には「中国人移民排斥法」が制定されます。これは移民で成り立つ国アメリカで、初めて制定された移民制限法でした。

中国人に変わって日本人移民が

新たに中国人移民がアメリカに渡れなくなったこともあり、中国系移民の数は減っていきます(もともと男性の割合が高かった)。とはいえ現代のアメリカ同様、表面上は移民はいらないといっても、実際問題、社会は労働力を必要としていました。そこで1880年代からは中国人に代わって日本人移民が増加していくことになります。この中国人に対する移民制限は、第二次世界大戦中の1943年に廃止されるまで続きました。戦後になると、それまで以上に多くの中国人が移民としてアメリカに渡ってきました。アメリカ各地のチャイナタウンが巨大化していったのは、1950年代以降のことです。(その3に続く)