造られた頃は“中央”になかったセントラルパーク

「ニューヨークの観光地/映画にもよく登場するセントラルパークを歩く」その1からの続きです。さて、ここでセントラルパークの歴史を、軽く知っておきましょう。セントラルパークは、アメリカで景観を考慮して造られた、最初の都市公園です。計画が立てられたのは1800年代半ば。急激に人口が増え始めたニューヨークで、都会に住む人々がのんびり過ごせる場所が必要ということで設計、造園が始まりました。ただしその当時のニューヨークは、現在の摩天楼のニューヨークとは全く違い、高層ビルはまだありません。人々の多くは現在のロウアーマンハッタン(ワシントンスクエアより南)に住んでおり、このセントラルパークが造られたこの北側はまだ「郊外」の趣で、人口密集地域からは随分と遠かったのです。

都会の中の緑のオアシス。手前が「ザ・レイク」とシンプルに呼ばれている池 都会の中の緑のオアシス。手前が「ザ・レイク」とシンプルに呼ばれている池

南北戦争後の1873年に開園

この公園建設当時のニューヨークの下町の雰囲気は、19世紀中ごろのニューヨークを描いた映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)を見るとよくわかるかもしれません。セントラルパークの造園が始まったのが1859年、正式に開園したのは1873年。その間の1861年から65年にかけてはアメリカでは南北戦争があり、ニューヨークでは徴兵に不満な人々が1863年に暴動を起こした「ニューヨーク徴兵暴動」がありました。日本では明治維新の頃ですね。

セントラルパーク西に建つダコタ・ハウス

当時、この公園の辺りはまだ人口も少なく閑散としていました。公園のちょうど真ん中あたりの西側外に、ジョン・レノンが住んでいたダコタ・ハウス(ダコタ・アパートメント)というクラシックな建物があるのですが、その完成がセントラルパーク開園のほぼ10年後の1884年。そしてその名前の由来が「周囲が(当時の)ダコタ準州のように閑散としていたから」と言われているほど、この辺りは寂しかったのですね。しかし20世紀初頭になると、この辺りは優雅なアパートメントが建つ高級住宅街に変わっていきます。そして部屋からセントラルパークを見下ろす部屋に住むことが、お金持ちのステイタスになっていくのです。ダコタ・ハウスについてもっと知りたい方は、別記事「ジョン・レノンも住んでいたNYの高級アパート、ダコタ・ハウス」をお読みください。

かつては犯罪件数が多かったが、今はかなり回復

1960年代末からニューヨークの治安は悪化していき、1970年代末のセントラルパークは、強盗やレイプが多発する「犯罪の温床」のイメージがついてしまいます。もっとも当時は犯罪の増加はニューヨークに限らず、アメリカ全土の都市部の問題でした。やがてアメリカは1990年代からは景気も良くなり、治安も徐々に回復。2000年代に入ると、セントラルパークの年間犯罪発生件数は、80年代初頭の1000件から100件へと1/10にまで減ります。現在でも置き引きやスリといった軽犯罪はありますが、凶悪犯罪はまれになり、健全に楽しめる場所に変わりました(ただし夜の立ち入りはやめておきましょう)。(その3に続く)