130年前にオーストラリアへ渡った日本人たち

太平洋戦争前後に南米へ日本人がたくさん移民したことはまだ風化していない歴史だと思いますが、今から130年前にオーストラリアへ移民した日本人がたくさんいたことをご存知ですか。昨今はたくさんの航空線がありケアンズやゴールドコースト、シドニーなどオーストラリアの東海岸へビジネスや観光で訪れやすくなりましたが、この移民者たちはオーストラリアの北部の町「ブルーム」というところへ移民しました。現在は彼らの痕跡が残っているだけです。

日本だけでなく様々な国からブルームへ移民していたことが分かる 日本だけでなく様々な国からブルームへ移民していたことが分かる

日本の技術が栄えた真珠産業

ブルームで真珠産業が栄えた1880年代、日本の潜水技術が導入されただけでなく、日本の潜水作業員たちおよびその家族がこぞって移民したのです。その出身地は和歌山、長崎、鹿児島県などが多く、真珠産業に携わっていた日本人の数は2000人を超え、その生活を支える医師や商人なども移民していました。

慣れない異国の地の気候と潜水病

真珠関連の仕事を求めてやってきた日本人たちですが、この仕事は死と隣り合わせの危険な仕事でした。当時は潜水中の水圧と地上での気圧の差によって生じる症状「潜水病」、別名「減圧症」に対して予防法が発見されたばかりで、正しい知識がなければ最悪、死亡してしまうのです。1日に潜水する時間を決めることなく、働き者の日本人は可能な限り潜水を続けて真珠を採っていたため、およそ1000人以上の潜水作業員が命を落としました。また、サイクロンに襲われて亡くなった人もいました。

日本を臨みながらオーストラリアの地に眠る

ブルームには「日本人墓地」と呼ばれる場所があります。といっても、日本人の墓石だけではありません。おそらく、潜水作業員として携わった人たちおよびその関連者のお墓でしょう。すべては故郷・日本がある北に向けられています。現在の形になる前はたいそう荒れ果てた場所であり、1983年に寄付金によって整備されました。その2でこの日本人墓地の様子を紹介します。(その2へ続く)