一体どれだけの日本人がブルームで亡くなったのか

オーストラリアのブルームにある日本人墓地の続きです。この日本人墓地は町の中心にあり、徒歩でも行ける距離なのですが、年中真夏のような気候のため、レンタカーを借りて移動することが好ましいです。墓地の入り口には石碑があり、この墓の説明が日本語で書かれています。最初の埋葬が1896年であったこと、1887年と1935年それぞれに発生したサイクロンで140名が亡くなったこと、墓石は707基、919名が埋葬されていることです。

全ての墓石が日本を向き、悠久に故郷を偲ぶ 全ての墓石が日本を向き、悠久に故郷を偲ぶ

本当は荒廃した小さな墓地だったが

入り口の石碑には1983年にこの墓地が整備され、現在の形になったことが記述されています。内容は「日本船舶振興協会会長 笹川良一氏 の寄付金および元参議院議員 玉置和郎氏の修復計画推進によって…(以下略)」とあります。修復以前は非常に荒れていたためなのか、修復後の墓石には出身地があいまいなものがあったり、名前も出身地も墓石から消えてしまい「無縁仏」となったものがありました。

全ての墓石が日本を向いている

日本人墓地に入って最初にはっとすることが、墓石が墓地の入り口の方角を向いているのです。正確には、日本がある方角を向いているのです。修復前はどうであったかわかりませんが、1983年の整備後は遠く離れたオーストラリアから帰郷できなかった故人を偲ぶために並べられたのかもしれません。

故人を忘れぬために刻まれた氏名と出身地

墓石を見て歩くと、墓石の正面には氏名、亡くなった日付と年齢、出身地が刻まれていました。日付は和暦(明治や大正)で書かれていること、地名がかなりあやふや(鳥取県津和野とあった)であったり、完全再現が難しかったようです。また、海のない長野県出身で20歳前後で亡くなられた方がおられ、とても悲しい気持ちになりました。このように立派な墓地を建立されたのですが、残念な事件がここで発生しました。(その3へ続く)