かつては領土が今の倍あったボリビア

今回は、南米の内陸国ボリビアについてのお話です。時として「南米の最貧国」とも呼ばれるボリビア。みなさんには、絶景で知られる「ウユニ塩湖」のある国としてのイメージが強いでしょうか。それともアンデス高地の豊かな民族色? しかしもともとボリビアはそんなに最貧国でもなく、かつては領土も今の倍ほどもあり、港さえ持っていたのです。それがどうして多くの領土を失い、貧しい国になってしまったのでしょうか?

南米の内陸国ボリビア。戦争にすべて負け、領土を失い続けた歴史を知る(前編) 南米の内陸国ボリビア。戦争にすべて負け、領土を失い続けた歴史を知る(前編)

スペインから独立するボリビア

スペイン植民地時代、もともとボリビアは「アルト・ペルー」と呼ばれ、ペルーの副王領に属していました。17世紀には高地のポトシから採掘される豊富な銀の力によってうるおい、ポトシは人口16万人という南米最大の人口を擁する都市でした。18世紀後半になるとアルト・ペルーはブエノスアイレスを都とするリオ・デ・ラプラタ副王領に組み込まれます。1825年にアルト・ペルーはスペインから独立を果しますが、その際にペルーでもアルゼンチンでもない、別の国家「ボリビア」としての道を選びます。しかし政権は安定しませんでした。やがてそのボリビアが領土を大幅に失う大事件が起きます。それが1879年から1884年まで続いた「太平洋戦争」です。

ボリビア、ペルー連合軍がチリと戦った「太平洋戦争」

19世紀半ば、太平洋岸で相次いで硝石の鉱山が発見されます。当時、硝石は農業肥料として欠かせないもので、重要な輸出品目でした。しかしボリビアの硝石会社はチリ人によって運営されており、ボリビア政府がそこに税をかけようとしたことで問題が起きます。1879年、かねてから軍備を整えていたチリ軍がボリビア領に入り、あっという間に主要港を占領。単独では勝てないと思ったボリビアは、利害関係が一致するペルーを仲間に引き込みますが、それもチリの想定内。チリはボリビア、ペルー連合軍を撃破し、ペルー領内まで攻め込みます。ペルーもボリビアも戦時中にも関わらず、大統領が責任追及を逃れるため、国外逃亡という体たらく。勝てるわけがありません。ボリビアは途中で戦争から脱落しますが、ペルーは首都リマを占領されたあとも徹底抗戦。しかし降伏を余儀なくされます。

海がないボリビアの「海の日」とは?

チリはボリビアの中心である高地には興味がなく、攻め込むこともしませんでした。しかしボリビアは太平洋への出口をすべて失い、チリに譲ることとなったのです。以降、現在に至るまでボリビアは、使用料や税金を払って、チリ領となった港を使用せざるを得なくなりました。さてボリビアでは現在、毎年3月23日を「海の日」とし、その日になると政府が大々的な「海を取り戻せ!」キャンペーンを繰り広げています。ボリビア海軍(といってもチチカカ湖と川しか活躍の場がないですが)がパレードをして、大統領が「来年はチリを撃破して海を取り戻す!」と威勢のいいことを言っているのですが…。(後編につづく)