世界で最も高い場所にある世界遺産都市

南米の中でも、「ウユニ塩湖」以外はいまひとつ地味な印象がある国、ボリビア。これといった産業がなく、「南米の最貧国」とも言われることがありますが、実はかつては豊富な銀の貯蔵量を誇り、南米随一の富を生み出すこともありました。その歴史を残す場所が標高4090mの高地にある都市「ポトシ」です。前は「世界でもっとも高い場所にある町」としても知られていましたが、現在はその地位をラ・パス市から独立した標高4150mのエル・アルトに譲りました。しかしそれにしても、とてつもなく高所にあることは確かです。銀や錫の採掘がされていたセロ・リコ(「富の山」の意味)鉱山や、町の歴史的な建造物と共に、1987年にユネスコの世界遺産に「ポトシ市街」として登録されました。

南米の世界遺産 銀で栄えたボリビアの古都「ポトシ市街」。その歴史と見どころ(前編) 南米の世界遺産 銀で栄えたボリビアの古都「ポトシ市街」。その歴史と見どころ(前編)

南米最大の銀の鉱山の発見

このポトシに銀の鉱山が発見されたのは1545年のこと。翌年には町が設立され、多くの人々が銀を求めてこの地にやってきました。スペイン人がインカ帝国皇帝アタワルパを処刑したのが1533年なので、まだインカ帝国の残党が奥地でスペイン人と戦っていた頃です。莫大な埋蔵量を誇るポトシ銀山の発見は、財政が厳しかったスペイン王室にはうれしい知らせでした(採掘された銀の5分の1が税として国に徴収されるため)。銀の発見の12年後の1557年には、ポトシにはすでに1万2000人のスペイン人がいたといいます。

過酷な銀の採掘労働

さて、銀の採掘には多くの人力が必要でしたから、スペインはインディオたちにミタ制と呼ばれる賦役を課して、鉱山で酷使しました。あまりにも過酷な環境でインディオたちがバタバタと死んでいくので、スペインはアフリカから黒人奴隷を輸入せざるを得なかったほどです。1572年に「水銀アマルガム法」という新しい銀の抽出方法が発見されて生産はのびたのですが、水銀を使用することからさらに死者が増加しました。そのため、セロ・リコ鉱山は「人を喰う山」と呼ばれたほどです。いったい何万の人々が命を落としたのかわからないと言われています。

「銀の町」として南米随一の都市に発展

しかし銀に群がる人は増え続け、ポトシの町の人口は1611年には最大の16万人に達します。これは当時としては、新大陸で最大の人口というだけでなく、ロンドンを抜いて西半球最大の都市でした。ポトシの周囲は高度4000mのほぼ不毛の地なので、この人口を支えるために、各地から食料や物資が運ばれ、道が整えられました。当時の世界通貨は金や銀でしたから、今で言えば穴を掘ればそこからお金が湧いてくるようなものです。“銀バブル”の時代、市街が整えられ、今ではポトシの観光名所になっている教会などの建造物が次々に建てられました。(後編につづく)