独特の文化を持つキューバ第二の街

東西に細長いキューバの東端に位置する、キューバ第2の都市サンティアゴ・デ・クーバ。ここへは、ハバナからはビアスール社のバスで16時間ほどかかります。隣国ハイチの影響が濃く、ハバナや西部に比べて黒人が多いサンティアゴでは、独自の文化色が強く感じられます。ハイチから伝わった音楽やダンスが盛んで、また、キューバで最も大衆に愛されている音楽「ソン」もサンティアゴが発祥です。ソンはキューバ音楽をテーマにした映画で、キューバのベテランミュージシャンたちが演奏していた音楽。この映画とアルバムは、当時ワールドミュージック界に一大センセーションを巻き起こしました。

サンティアゴで見た、フィデル・カストロと革命戦士カミーロの肖像 サンティアゴで見た、フィデル・カストロと革命戦士カミーロの肖像

スペインからの独立を目指して立ち上がる

そしてもうひとつ、キューバを語るうえで忘れてはならないのは、ここが“革命ゆかりの地”であることです。キューバの独立と革命のムーブメントは、常に東部から始まりました。「祖国の父」と呼ばれるカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが、16世紀初めから続いたスペインの統治に反旗を翻したのが、1868年10月10日。サンティアゴから200km離れたマンサニージョ郊外にある自分の農場から黒人奴隷を解放し、バヤモの町でスペインからの独立を宣言しました。ここからキューバは独立戦争に突入します(第一次独立戦争)。

奴隷制度は廃止されたが独立はならず

セスペデスが独立を宣言したといっても、スペイン側がそれを認めたわけではありません。スペイン軍との闘争は続き、反乱軍の蜂起はやがて、キューバの東部地域全体から中部のカマグエイまで広がります。1869年、各地の反乱軍がカマグエイに集結し、議会が開催されて、共和国憲法が発布されました。また、セスペデスが初代大統領に選出されました。スペイン軍が停戦・和解策を打ち出し、反乱軍はこれを受け入れ、1878年、停戦協定が結ばれます。さまざまな改革がなされ、奴隷制度の廃止も合意されましたが、しかしキューバの完全な独立とはなりませんでした。

ついにスペインから独立! しかしその実情は…

そして1895年、「キューバ独立の父」と呼ばれるキューバの国民的英雄、ホセ・マルティの指導のもと、革命軍による蜂起が起こります(第二次独立戦争)。戦況が膠着する中、1898年にハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メイン号が爆破されるという事件が起きました。アメリカではスペイン海軍の仕業だと報じられ、この事件をきっかけにアメリカ・スペイン戦争が開戦します。しかし、スペインにはもはや戦争を続けるだけの資金が残っていませんでした。スペインはキューバにおける主権を放棄し、1902年、遂にキューバは400年に及ぶスペインの支配から独立を果たします。しかし、その実情は、スペインからアメリカへと支配者が代わったに過ぎなかったのです。(後編に続く)