傀儡政権によるアメリカへの従属

前編からの続きです。二度にわたる独立戦争によって、スペインからの独立を果たしたキューバ。しかしその実態は、スペインに代わってアメリカによる支配が始まっただけでした。キューバは、地政学的に見て“アメリカの裏庭”であり、軍事上の重要拠点です。この時期にキューバ島の東端に造られたグアンタナモ米海軍基地が、キューバの独立後も米軍基地として存続しているのはみなさんもご存知でしょう。アメリカは親米政権を維持させるためにキューバへの投資を続け、キューバのアメリカへの軍事的・経済的従属はますます進んでいきました。

壁の銃痕が生々しい、モンカダ兵営博物館 壁の銃痕が生々しい、モンカダ兵営博物館

カストロらによって成し遂げられたキューバ革命

1953年7月26日、アメリカの傀儡であったバチスタ政権を打倒すべく、フィデル・カストロ率いる119人の反バチスタグループが、サンティアゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営を襲撃し、革命の狼煙を上げます。結果的にこの襲撃は失敗に終わり、カストロらはメキシコに亡命しました。そしてカストロがメキシコ潜伏中に出会ったのが、アルゼンチン人医師チェ・ゲバラです。再度バチスタを倒すために、メキシコでゲリラ戦の訓練を行った彼らは、1956年、グランマ号に乗ってキューバに再上陸を果たしました。ゲリラ活動の末、1959年1月にハバナは革命軍によって制圧され、8日にはカストロがハバナ入りし、遂に革命軍の勝利が確定します。

革命の火ぶたが切られた場所が博物館に

反バチスタグループのゲリラ活動は、モンカダ兵営での蜂起にちなんで「7月26日運動」と呼ばれました。現在、モンカダ兵営は、「7月26日モンカダ兵営博物館」として公開されています。黄色い建物の外壁には襲撃時の銃弾の痕が残り、ここが“現場”であった生々しさを感じます(実はこれらの穴はバチスタ政権時に一度修復されており、革命後に再び開け直した、という話もあります)。襲撃した120名のうち61名がここで死亡し、捕虜になった約40名のうち半数は拷問によって虐殺されました。建物の中には当時の新聞、各部隊の襲撃経路、ゲリラ戦の様子、使用された武器、兵営やグランマ号の模型などが展示されています。

革命で流した血の上に築かれた社会

展示されている資料の写真の中で、革命前の、まだ“いいとこのお坊ちゃん”顔をした弁護士時代のフィデルと優男風イケメンだった弟のラウルが、ゲリラ戦を続けていくうちに、次第に“戦士”の顔に変わっていくのがとても印象的でした。兵営の建物の半分は小学校になっており、博物館の窓から庭で遊ぶ子供たちが見えました。現在、「貧富の差はあっても、医療と教育に差はない」といわれるキューバでは、誰もが平等に、無料で教育を受けられます。自由と平等を目指し、モンカダ兵営で命を落とした者の多くは学生などの若者たちでしたが、彼らが夢見たのは、きっとこんな風景だったのだろうな、と子供たちの姿を見て思ったのでした。