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波乱万丈の生涯を送ったメキシコの女流画家フリーダ・カーロとは? その2 リベラの裏切り


掲載日:2017/01/25 テーマ:美術館・博物館 行き先: メキシコ / メキシコシティ

タグ: ロマン 一度は見たい 憧れ 名画


アメリカから帰国し、二人の家を建てる

フリーダをモチーフとして、多くの画家が彼女の肖像を描いている フリーダをモチーフとして、多くの画家が彼女の肖像を描いている

メキシコの女流画家フリーダ・カーロ・その1からの続きです。1930年1月、リベラの仕事により、ふたりはアメリカのサンフランシスコへ。この時期はアメリカでふたりは暮らしていましたが、その間にフリーダは最初の流産をしてしまいます。バス事故の後遺症で、彼女は出産には難しい身体でした。1933年12月、ふたりはメキシコに戻ります。知人の建築家に依頼した二人の新居は、フリーダの実家からは4kmほど西にあるメキシコシティ南部のサン・アンヘル地区に建てられました。

二人が暮らした家を見学できる

この家は住居兼アトリエになっており、2つの建物が上部の橋で繋がり、フリーダとディエゴが行き来できるようになっていました。現在、この家は「ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの家博物館」として公開されています。開館時間は月曜日を除く毎日10:00〜18:00で、入館料は30メキシコペセタ(約200円)。市内の外れにあるのでタクシーで行くといいでしょう。ピンク色の外壁の大きな建物はリベラの、青い小さな建物がフリーダのものです。アトリエとして使用された部屋が見られるほか、ディエゴの作品も数点残っていますが、残念ながらフリーダの作品はありません。

リベラの背信とトロツキーの亡命

結婚したふたりですが、リベラの浮気癖はそのままでした。それを承知して結婚したフリーダなので最初は大目に見ていたのですが、1935年、リベラが妹のクリスティナと関係を持ったことは、さすがに許せませんでした。ショックを受けフリーダは、この家を出てしまいます。しばらくしてこのサン・アンヘルの家にフリーダは戻りましたが、ふたりの関係は冷たいものになっていきました。1937年、ノルウエーに亡命していたロシアの革命家トロツキーがディエゴの計らいでメキシコに亡命してくると、フリーダは生家の「青い家」をトロツキー夫妻に提供します。トロツキーが住んでいたのは1935年から1939年までで、この間にフリーダとトロツキーと短い関係にあったことが知られています。(その3に続く)

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2017/01/25)

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※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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