巨大なピラミッドがメキシコにもあった!

メキシコを代表する遺跡といえば、チチェン・イツァなどのマヤ文明の遺跡とともに、テオティワカンのピラミッドが挙げられるでしょう。南北アメリカ大陸にはさまざまなピラミッドがありますが、ここにある「太陽のピラミッド」は「世界で3番目に大きなピラミッド」と言われるほど巨大です。メキシコを周遊するツアーで、このテオティワカンが入っていないものはないというほど、観光では定番の見どころで、もちろん世界遺産にも登録されています。今回はそのテオティワカンのピラミッドをご紹介します。

その大きさに驚く、ティオティワカンの月のピラミッド その大きさに驚く、ティオティワカンの月のピラミッド

アステカ人が来る前に滅んだテオティワカン文明

「テオティワカンのピラミッドって、アステカの遺跡だよね」あるいは「マヤの遺跡だよね」と思い込んでいる方もいますが、それは大きな誤解です。テオティワカンには、「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」という2つの大きなピラミッドがありますが、建てられたのは4世紀ごろのこと。建てたのもアステカ人とは別のテオティワカン人です。テオティワカンは7世紀ごろに滅亡したので、アステカ人がこの地にやってきた12世紀には、すでに廃墟となってから数世紀もたっていました。前方後円墳を見て「これはなんだろう?」と考えた鎌倉武士、あるいは古代ローマ遺跡を見て驚く中世の騎士といったほどの時代差です。マヤ文明は同時期ですが、場所はもっと南の低地のユカタン半島。このピラミッドは有名なチチェン・イツァやウシュマル、パレンケの遺跡よりは300〜400年ほど古く、オアハカ郊外のモンテ・アルバンがほぼ同時期ぐらいかもしれません。

10万人以上が住んでいた古代都市

それでは、テオティワカンのピラミッドを造ったのはどんな人々だったのでしょう。まず、それを知る前に、遺跡の全体像を知ったほうがいいですね。テオティワカンがあるのは標高2000mほどのメキシコ中央高原で、首都メキシコシティからは北東へ約50km。テオティワカンが繁栄したのは紀元前2世紀から6世紀までで、その最盛期は350年から650年ぐらいまでといいます。この間に、現在残る建造物の多くが建てられました。都市は南北4kmに及び、その中央を通る「死者の大通り」を中心に、北の突き当たりに月のピラミッドが、通りの東側に一番大きな太陽のピラミッドや、ケツァルコトルの神殿が配置されています。最盛期にはここに10〜20万人が住んでいたといいます。(その2につづく)