兵士はインカ側の方が多かったが、、、

「クスコから日帰り観光/クスコ郊外にあるインカ遺跡巡り」その1からの続きです。1536年6月、サクサイワマンに10万のインカ軍が集まり、スペインが守るクスコを攻めます。一方クスコを守るスペイン軍は約500人でしたが、スペインに協力する現地部族3万人もいました。彼らの守りは固く、なかなか町を落とすことができません。食料も底をつき、やがて作物の種まきの時期がやってきて、多くのインカ兵が離脱していきました。さらに悪いことに、スペイン人が持ち込んだ天然痘が広まり、多くの死者も出します。また、インカでは一般的でなかった“夜襲”もインカ軍に損害を与えました。インカ人は夜は戦争をしなかったのです。マンコ・インカ軍は次第に消耗し、10か月後にサクサイワマンを放棄してより奥地のビルカバンバに撤退します。

サクサイワマンの大きな石垣。この大きな石は遠くから運ばれてきた サクサイワマンの大きな石垣。この大きな石は遠くから運ばれてきた

遺跡はこうなっている

サクサイワマンの建造物は、3層の石垣がジグザグに丘上まで360mにわたって続いています。石積みは他のインカの建造物のように精巧で、隙間なくぴったりと合わさっています。石は同じ大きさではなくみなバラバラの形をしており、組み合わせるのは難しかったことでしょう。一番大きな石は120トンもあるといいます。石は近辺からではなく、遠くから運ばれました。車輪の利用を知らなかったインカ文明なので、一説には石を丸太の上に乗せて転がして、何十キロの距離を運んだようです。石の階段を登って遺跡の上まで出てみましょう。サクサイワマンの標高は3550mあるので、まだ体が高地に順応していない人はゆっくり登って下さい。遺跡の上から南側を見ると、眼下にクスコの街が見下ろせるでしょう。

太陽の祭り、インティ・ライミ

広場では、インカ時代にはさまざまな儀式が行われていました。現在は毎年6月24日、太陽の祭りである「インティ・ライミ」がここで行われています。これは冬至に関わる儀式で、インカの暦ではこの日から日が延びていく元日になります(南半球なので日本と季節が逆)。征服者であるスペインは1535年にこの儀式を禁止しますが、1944年に古い記録をもとにインティ・ライミが復活し今に至っています。この日はクスコ市街はお祭り状態になり、サクサイワマンには特設席も設けられ、踊りや儀式が行われます。(その3に続く)