チャウチージャに点在する墓の1つ。顔や頭の皮膚は跡形もなく消滅しているのに、その長い髪だけは今もしっかりと残っている
ナスカ平原にある古代の共同墓地
世界遺産「ナスカの地上絵」でお馴染みのペルー・イカ州ナスカ。およそ2000年前に描かれた大地のアートが今も残るそのわけは、極端に降雨量が少ない気候風土にある。最も雨が多いとされる2月ですら、月間降水量は1mm程度という砂漠地帯。その大地に埋葬された遺体はあっという間にミイラとなって、その姿を永遠に留めるのだ。そんな古代のミイラを博物館のガラス越しでなく直に見られるのが、ナスカの街から約28km南にある「CEMENTERIO DE CHAUCHILLA(チャウチージャ墓地)」。その敷地は縦500m×横2000m、約1000年前に利用されたプレインカ期最大級の広大な共同墓地だ。
広大な砂漠にポツンポツンと点在する墓。墓地の東にそびえる小高い山は、当時の人々に聖地として崇められていたのかもしれない
埋葬品のほとんどが盗掘者によって持ち去られた
プレインカ最大級の墓地とはいえ、現存する墓はわずか10数基。残りの大部分は、ワッケーロと呼ばれる墓泥棒たちによって荒らされてしまったのだ。墓を暴いた泥棒たちは土器や貴金属製品、死者を包んでいた織物を根こそぎ奪ってしまった。ミイラそのものも売買の対象とされ、国内外の博物館や個人の“コレクション”としていろいろな場所に散らばっている。発掘場所を明記せず、ただ単に「ナスカのミイラ」と紹介されるものの中には、このチャウチージャから盗まれた可能性があるかもしれない。ペルー文化庁(当時)が正式な調査と保全を開始したのは、1997年になってからである。
見事な長髪を保つミイラと、墓の隅に所在なく並べられた骸骨。わずかだが壺や皿などの陶器も残っている
すべてのミイラは東を向いている
いずれの墓も地面を2mほど掘り下げ、壁面をアドベ(日干し煉瓦)で覆っている。四角または長方形の墓に1体〜複数のミイラが安置されているだけで、埋葬時の様子を知る手がかりは乏しい。死後の世界を信じた古代アンデスの人々は、死者はあの世で生き続けると考えていた。あちらでの生活で不自由しないよう、食料や衣料、生前に故人が愛用したものを一緒に埋葬する習慣はそのためと言われている。さらに、死者の魂は再び蘇るとも考えていたようだ。ミイラがすべて東を向いているのは、日の出=再生を願ってのことだろうか。無表情なドクロから彼らの想いを読み取ることはできないが、今はせめて安らかに眠り続けてほしいと願う。
頭の骨がまだ完全に結合していないことから、死亡時まだ幼かったであろうことが窺えるミイラ。頭蓋変形の痕跡もみられる
利用時期はナスカの終焉からワリにかけて
場所柄ナスカ文化(紀元前200〜650年頃)のものと思われがちだが、チャウチージャが墓地として利用されたのは、アンデス考古学の編年でいうところの中期ホライズン(650〜1000年頃)とされる。ナスカ文化後期、この辺りは深刻な旱魃に見舞われた。居住区を移したり雨ごいの儀式を行うなどさまざまな手を尽くしたものの効果はなく、多くの人々がこの地を去っていった。ナスカ文化が終焉を迎えたころ、中央アンデスに興ったのがワリ文化だ。彼らはペルー海岸部に勢力を拡大、次第にナスカもその支配下に置かれた。ナスカとワリという時代の狭間を逞しく生き抜いた人々。それがチャウチージャの主たちなのだ。
残念ながら展示位置が定まらないのだろう、脇に放置されたままのミイラや骨も散見される
【関連情報】
■CEMENTERIO DE CHAUCHILLA/チャウチージャ墓地
住所:ナスカ市内の南約28km地点
見学時間:8:00〜16:00(無休)
チケット:8ソレス
市内発の観光ツアーあり
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