30年前の“初海外”で訪れた場所

今から30年ほど前、初めての海外旅行でニューヨークに行ったとき、そこで絶対に見てみたいところがありました。それがセントラルパーク西にある「ダコタ・ハウス Dakota House」(ダコタ・アパートメント)です。私がその旅行に出る数年前の1980年12月8日、ここに住んでいたジョン・レノンが玄関で射殺される事件が起き、ビートルズファンだった私には大きなショックでした。なのでニューヨークでは、必ずその場所に行ってみようと思っていたのです。

セントラルパークに面して建つ、クラシックな外観の高級アパートメント、ダコタ・ハウス セントラルパークに面して建つ、クラシックな外観の高級アパートメント、ダコタ・ハウス

セントラルパークに面したクラシックな建物

セントラルパークの西を走る通りのセントラルパーク・ウエストに面し、クラシックな外観をしたこの建物は、高級集合住宅として1880年に着工し、1884年に完成しました。建物は、南は西72丁目、北が西73丁目と南北は1ブロックを占め、東は通りの向こうはもうセントラルパーク。なので、東側の部屋からは公園の眺望を楽しむことができるでしょう。敷地内には住民しか入れないので、まず外側から建物を見てみましょう。建物は北ドイツ風の10階建てで、上階は三角屋根の小さな建物が乗ったような造りです。外側にはベランダは少ないですが、丸みを帯びた出窓が数カ所造られています。

建物の名前の「ダコタ」の由来は?

建物の名前の「ダコタ」の由来には諸説あります。よく言われているのが、完成当時(1884年)のアッパーウエストサイド地区はまだ住宅の数がまばらだったため、同時期にはまだ人口が少なかったダコタ準州になぞらえて名付けられたという説です。「まるでダコタみたいに閑散としている」ということでしょうか。ちなみにダコタ準州は、ダコタ・ハウス完成の5年後の1889年に、ノースダコタ州とサウスダコタ州に分かれて州に昇格しました。

ダコタ・ハウスの建設を発注したエドワード・クラークとは?

もうひとつの説は、この建物を発注したエドワード・クラークがダコタ準州を好きだったというもの(あいまいな理由だと思いますが、1933年の新聞に出典があるとか)。エドワード・クラークは法律家で、シンガーミシンの創業者のひとりでもあり、資産家でした。クラークが設計を頼んだのは、建築家のヘンリー・J・ハーデンバーフ。クラークはのちに、同じマンハッタンにあるプラザ・ホテルの設計もハーデンバーフに頼んでいます。(その2に続く)