ダコタ・ハウスとジョン・レノン

「NYの高級アパート、ダコタ・ハウス」その2からの続きです。さて、ジョンとヨーコがダコタ・ハウスに転居したのは、1973年のこと。1971年9月から活動の拠点をロンドンからニューヨークに移していた2人は、当初はグリニッチ・ヴィレッジに住んでいましたが、やがてダコタ・ハウスに落ち着きます。ただし、1973年9月からジョンはヨーコと別居してロサンゼルスへ行ってしまいます。再びジョンがダコタ・ハウスに戻ったのは、ヨーコとよりを戻した1975年1月のこと。冷却期間を置いたせいか、そのあとの2人の絆はより深まり、同年、ヨーコとの間にショーンが誕生。これをきっかけにジョンはしばらく音楽活動を休止し、ハウスハズバンドとして養育活動に専念することに。音楽活動を再開したのは1980年で、11月にアルバム『ダブル・ファンタジー』を発売。しかしそこからシングルカットされた「スターティング・オーヴァー」がヒットチャートを駆け上がる中、悲劇が訪れます。

ダコタ・ハウスの南側にある玄関。ここでジョン・レノンが撃たれた ダコタ・ハウスの南側にある玄関。ここでジョン・レノンが撃たれた

運命の1980年12月8日

ダコタ・ハウスの南玄関では、以前からジョンのファンがレコードなどを持って待機し、サインをもらうことは珍しくありませんでした。車ごと中庭まで入ってしまえば、そっと帰ることもできましたが、ジョンはアパートの前に車を止め、いつも気さくにサインに応じたりしていたといいます。その日、ヨーコのレコーディングを終えてダコタ・ハウスに戻ったレノンを待ちかまえていたのは、殺害犯となる25歳のマーク・チャップマンでした。チャップマンはその日の午後5時すぎにもダコタ・ハウス前にやってきて、出かけるところだったジョンにサインをもらっています。夜10時50分、ダコタ・ハウスに戻ったジョンの身体に、4発の銃弾が撃ち込まれました。

悲劇の地は、やがてファンの聖地に

ジョンとヨーコが住む部屋は、ダコタ・ハウスの南東の角の最上階です。南玄関を入ってすぐの階段を上っていくのですが、ジョンは「I’m Shot」と2回言いながらその階段を5段登ったところで倒れました。すぐに病院に搬送されましたが、失血性ショックでまもなく亡くなりました。手の施しようがない状態だったと言います。そんな悲劇が起こった場所ですが、事件後もオノ・ヨーコは息子ショーンと共にダコタ・ハウスに住み続けています。そしてダコタ・ハウスは、ジョンやビートルズファンの姿が絶えない場所となりました。(その4に続く)