センターの中心となるのはコムキャストビル

「スケートリンクと展望台が人気! ロックフェラーセンター」その1からの続きです。19のビル群からなるロックフェラーセンターですが、そのメインの建築家は、1920年代から30年代にかけてアメリカの多くの高層ビルを手がけた、レイモンド・フッドです。彼により、アールデコ様式の摩天楼がアメリカ各地で定着するようになりました。彼による新聞社のデイリーニュースビルは、スーパーマンがクラーク・ケントとして働いているデイリー・プラネットビルのモデルとして知られています。さて、そのレイモンド・フッドが手がけ、このセンターの中心となるコムキャストビルが完成したのは1933年のこと。このビルは所有者によって名前が変わり、1988年まではRCAビル、そして2015年まではGE(ゼネラルエレクトリック)ビルと呼ばれていました。この中には、米テレビの3大ネットワークであるNBCの本社が入っており、NBCスタジオツアーも行われています。

センターの中心となるコムキャストビルが完成したのは1933年 センターの中心となるコムキャストビルが完成したのは1933年

展望台のトップ・オブ・ザ・ロックに上がってみよう

コムキャストビルの高さは260mで、70階まであります。そのうち、67、69、70階が「トップ・オブ・ザ・ロック」という展望台になっており、素晴らしい夜景が見られます。エンパイヤステートビルからの夜景も有名ですが、あそこに上ってしまうとエンパイヤ自身が見えませんからね(笑)。この屋上は、建設中の1932年に撮影された一枚の白黒写真「摩天楼の屋上でランチ」でも有名です。高所恐怖症の人には信じられないような写真ですが、しばらく眺めていると日常と非日常が同居した不思議な感覚にとらわれます。65階には、夜景が素晴らしいレストランの「レインボールーム」があります。過去に有名人が次々と来店したことで有名ですが、現在は日曜日のブランチと月曜日のディナーのみオープン(あとは貸切のみ)とのことです。
●トップ・オブ・ザ・ロック公式サイト www.topoftherocknyc.com/languages/japanese/

かつて日本企業が買い占めたことも

さて、バブル全盛期の日本は、本当にお金が有り余っていました。この時期は円高が進み、アメリカドルが相対的に下がったこともあり、日本企業によるアメリカ企業の買収が急激に進みました。その象徴となったのが、1989年10月の三菱地所によるロックフェラーセンター買収劇です。これはアメリカ人の反感を買い、ジャパン・バッシングの流れのひとつとして注目されました。もっとも長くは続かないのがバブルなので、1995年には買収した14のビルのうち、12を売却してしまうことになります。今になってみれば懐かしいニュースですが、当時はびっくりしたものです。(その3に続く)