身近とは言いがたい南インド史

「かつて南インドで栄えた王朝の名前を挙げてください」もしこんな問題が出た場合、答えることはできますか?「えーと、ムガル帝国って北インドだっけ?」なんてせりふが聞こえてきそう。私たちが普通習う世界史では、南インドの王朝が登場してもほんのわずかです。イメージの描けないものは、試験勉強が終わると忘れてしまうのは当然。でも、改めて歴史の本をひもといてみると、なかなか興味深い事柄もあるんです。南インドを代表するいくつかの遺跡から、その歴史をのぞいてみましょう。

海のシルクロードの拠点・アリカメードゥ遺跡

かつてアーリヤ人の侵入に押され、インドの南端まで移動したというドラヴィダ人。しかし彼らは決して追い詰められて閉じた世界にいたわけではありません。南インドの交易の歴史は古く、なんとプトレマイオス朝エジプトとの間にすでに行き来があったようです。エジプトがローマ帝国に征服されると、今度はデカン高原のサータヴァーハナ朝と、絹を求めて東へ向かうローマの交易が活発になりました。その拠点のひとつが歴史資料に登場するポドゥーケーの港。これはタミルナードゥ州プドゥチェリー郊外にあるアリカメードゥ遺跡とされています。紀元前1世紀から後3世紀にかけて栄えたこの遺跡発掘の結果、ローマのコインやワインを入れた壺などが多数出土しています。インドの宝石や香料はローマで大変珍重され、サータヴァーハナ朝に経済的繁栄をもたらしたといいます。

南インド版「三国時代」の首都、バーダーミ

カルナータカ州北部のバーダーミはのどかな村。人造池を挟んでふたつの岩山がそびえ、周囲に古い城や寺院などが点在しています。6世紀、南インドではチャールキヤ朝、パッラヴァ朝、パーンディヤ朝の三王朝が抗争を繰り広げていました。バーダーミにはチャールキヤ朝の首都が置かれ、唐の玄奘三蔵もここを訪れています。また、世界遺産のパッタダカルは、チャールキヤ朝の戴冠式が行なわれた場所です。他王朝との抗争で弱体化したチャールキヤ朝は753年、封臣のラーシュトラクータ家に滅ぼされました。しかし滅亡から2世紀後にラーシュトラクータ朝を滅ぼし、後期チャールキヤ朝として復興を果たすのです。なお、有名なエローラ石窟のカイラーサナータ寺院を建造したのが、ラーシュトラクータ朝2代目の王クリシュナ1世です。

ハンピを首都にしたヴィジャヤナガル王国

13〜14世紀、南インドの政治は混乱し、戦国の世が続いていました。それに終止符を打ったのがヴィジャヤナガル王国です。カルナータカ州のハンピを首都として栄えたこの王朝は、1336年の建国以降各地へ兵を進め、南インドのほとんどの部分を支配下におさめました。ハンピは大国の首都にふさわしい広大な都市遺跡で、見どころもたっぷり。世界遺産にも登録されています。やがて、各地の王が結束してヴィジャヤナガルに対抗するようになり、王国は17世紀半ばに滅亡。インドはその後の大航海時代に続き、ヨーロッパ植民地支配の時代を迎えることになるのです。