ベルリンの壁が崩壊して25年

ベルリンの壁が崩壊したのは1989年のことでした。東西冷戦のさなかに育ち、それはずっと続くのだろうと当たり前のように思っていた私は、冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩れる日が来ようとは夢にも思いませんでした。壁が崩され、大勢の若者たちがベルリンのブランデンブルク門に集結している映像は、本当に衝撃的でした。それはまさに歴史が大きく動いた瞬間で、『これは大変なことになった』と思いながら、毎日ニュースを見ていたものです。そして2014年の夏、初めてベルリンを訪れることが決まり、ベルリンの壁やブランデンブルク門をこの目で見るんだと思うと、静かな興奮を覚えずにはいられませんでした。

歴史が大きく動いたベルリンの壁の崩壊。その25年後に、壁の前に立って思ったこと 歴史が大きく動いたベルリンの壁の崩壊。その25年後に、壁の前に立って思ったこと

壁を知らない世代は何を思う

ベルリンの宿に荷を下ろすと、まずはブランデンブルク門を目指しました。門の前の広場は、記念写真を撮るツーリストであふれています。そこは、あの衝撃的な映像と同じ場所だとはにわかに信じられないような、平和な‘普通の’観光地でした。門の後ろにはワールドカップの野外観戦のための特設ステージが造られています。『25年も経つんだよなあ』と時の流れをしみじみと感じました。宿の部屋は8人用のドミトリーで、私以外はみな、私の年の半分くらいの若者たちです。きっと25年前には生まれてなかったでしょうし、ベルリンの壁も、彼らは昔の歴史上のこととしか捉えていないのかもしれません。

ベルリンの壁記録センターで受けた衝撃

数日の滞在の最終日に、1.3kmのベルリンの壁がオープンギャラリーとなっている、イーストサイドギャラリーに行きました。ここも多くのツーリストが訪れ、壁に沿って歩き、写真を撮っています。自由の象徴としてアーティストたちが壁画を描いたのでしょうが、私には、そこに歴史の重さを感じることができませんでした。それよりも、ベルリンの壁記録センターのそばの、当時のままのコンクリートむき出しの壁に激しく心を揺さぶられました。壁は思っていたよりも低く、そして薄いものでした。しかし、かつてここで暮らしていた人たちにとっては、絶望的に高く厚い壁だったに違いありません。壁のそばには、壁を越えようとして銃殺された人を悼む十字架がありました。

街の片隅に残る、壁の名残

ポツダム広場の近くの裏通りには、壁の監視塔がぽつんと取り残されたかのように立っています。その近くにある政府の建物の敷地の中や、ポツダム広場の芝生にも、壁の一部が残っています。壁とは気づかないような、長さ2mほどの壁。歩道に立つ自分の足元を見ると、その壁がまっすぐ伸びたあたりに、歩道と色の違うレンガが細くはめられていて、自分が立っている場所が昔は壁だったのだと気づきます。ベルリンの街は、いたるところが工事中でした。街はどんどん新しくなっていくけれど、その片隅に残る壁の名残は絶対に消えないのだろうと思いました。