カリブ海にあるフランスの「海外県」

日本ではちょっとピンと来ませんが、フランスには「海外県」というものがあります。これはフランス本土にある「県」と同格で、かつてのフランスの「海外領」は、今では無人島などをのぞき「海外準県」という扱いになっているようです。さて、このフランスの海外県の中でも、人口40万人ともっとも大きいのがカリブ海に浮かぶ島、マルティニークです。「自国」ということで、フランス人にとっては、ポピュラーな観光地。何しろフランス語が通じ、ユーロで旅行できますからね。

フランス人にはポピュラーな観光地、フレンチカリブのマルティニークへ!(その1) フランス人にはポピュラーな観光地、フレンチカリブのマルティニークへ!(その1)

先住民を全滅させて植民地化

このマルティニークも、他のカリブの島々と同様に、コロンブスによって「発見」されました。それ以前には原住民であるカリブ族とアラワク族が住んでいましたが、17世紀から入植を始めたイギリス人やフランス人は、彼らを絶滅させてしまいます。その後、サトウキビ栽培の労働力不足を補うため、奴隷としてアフリカから多くの黒人が連れて来られました。1763年にはパリ条約で、フランスが持っていた北米の多くの植民地(ケベックやルイジアナ)との交換で、マルティニーク全土がフランス領になります。

独立しない選択肢が成功?

現在も住民の多くは、奴隷の子孫である黒人と混血のクレオール(ムラート)です。戦後、多くのフランス植民地が独立し、マルティニークでも一時期は独立運動が起きましたが、本国の反対にあい、独立も自治も果すことができませんでした。ただしそれは悪いことばかりではなく、マルティニークの住民はフランス人として自由にフランス本土へ行ける訳ですから、他の国の人に比べてフランスで仕事を得やすいともいえます。現在、フランス本土には26万人のマルティニーク出身者が住んでいるとか。カリブ海では独立したために本国からの援助がなくなり、貧しくなった国も数多くあるので、難しいところでしょうね。

マルティニークを襲った火砕流

マルティニークの県庁所在地はフォール・ド・フランスですが、歴史の中で長らく島の中心都市であったのは北部にあるサン・ピエールでした。しかし、1902年にマルティニーク最高峰(1397メートル)であるプレー火山が爆発し、サン・ピエールを火砕流が襲います。3万人の住民が亡くなり、生き残ったのはたった3人という大災害でした。これは20世紀でも最大級の火山災害といわれています。被害を大きくしたのは、この時サン・ピエールの市長選挙があり、それを遂行するために市政府が「安全」宣言を行ったためといいます。もちろん市長も市民も死んでしまい、選挙は行われませんでした。現在、サン・ピエールは村として復興しましたが、噴火当時の建物の廃墟も残っています。(その2につづく)